前回の旧神宮備林へ入山した際、山守(やまもり)の末裔 Nさんより
名古屋城と私の住む 現中津川市川上(かわうえ)の関わりについて教えていただきました。
江戸時代、現在の中津川市付知町・加子母・川上の山は尾張藩の直轄領でした。
慶長14年(1609年)、名古屋城の普請に伴い、この地域から用材が 35,000本 出されたそうです。
そして、そのうちの 25,000本 が何と川上(かわうえ)から出されたと教えていただきました。
山守という特別な役回りだったゆえ、多くの資料が今も残っており、それを紐解いて分かった事実だそうです。
慶長14年(1609年)名古屋城普請に関する資料
25,000本を伐り出した山は、現在の龍神の滝 の近くだそうです。
どおりで・・・ 龍神の滝 近辺も独特の清浄さを感じる空間です。
夕森公園内の龍神の滝
古くから、川上(かわうえ)は名古屋と関わりが深かったのですね。
そう言うよしみから、是非とも名古屋市民を始め、愛知県の方々にはこの空間に足を運んでいただきたいです。
今年の、夕森もみじまつりは 11/4(日)。
紅葉狩りがてら、お越しいただき感じていただきたいです。
保田さん、こんばんは。
>25,000本 が何と川上(かわうえ)から出されたと
素晴らしい歴史のある所に住んでおられるのですね。
行ってみたいです。
おはようございます。
素敵な場所ですね。
その地の歴史を知ることは、
何よりも、その場所を大切に思えるようになりますね。
おはようございます
>名古屋城の普請に伴い、この地域から用材が 35,000本 出されたそうです。
そして、そのうちの 25,000本 が何と川上(かわうえ)から出されたと教えていただきました。
もの凄い量が切り出されたのですね
機械力のない当時どのようにして切り出されて運搬されたのか
その様子は残っていないのでしょうか?